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2012年5月

シークレット・シークレット













じりじりと焼けるようだった。


昼下がり、彼と自分以外は他の誰もいない、真っ直ぐに細く続く小学校の帰り道。あまりの暑さに世界は眩み、蝉だけが騒ぎ立てていた。
そんな中、熱いアスファルトの上の逃げ水を遠目に見て、追いかけてはしゃいだのを覚えている。


道脇に自転車を止めて、笑いながら。




















”シークレット・シークレット”








































「なあ、楊ゼン。今から出て来れるか?」


携帯電話から聞こえた声は聞き慣れたもの。
夜になってもまだ蒸し暑い真夏。日付けも変わろうとした時刻、唐突にかかって来た電話は幼馴染みからだった。














三日月は随分と高い位置にあった。
からからと、乗るのを止めて降りた自転車の車輪が回る。
駅から離れた住宅街の夜は、昼間に比べて嘘のように静かで、暗い。
待ち合わせ場所はそんな住宅街の中にあった。


「楊ゼン!こっちだ」


夜の為、元気だが小さめに呼び掛ける声がする方を見ると、小柄な二つ年上の幼馴染みの望が手を振って笑っている。
待ち合わせた場所はなんの変哲もない公園の近く――小さい頃、二人でよく遊んだ場所だった。
楊ゼンが家から自転車に乗って10分ほどかかるそこに着くと、呼び出した本人はとうに着いていたらしく、サイダー水のペットボトルの中身を半分くらいにさせて街灯のついた電信柱に寄り掛かっていた。
暑いのう、と手で顔を仰ぐ顔はひどく童顔で、さらに言うと身長も低めで、いつ見ても年上には見えないと楊ゼンは胸の内だけで呟く。


「あれ、歩いてきたんですか?」
「ああ。暑いけど散歩がてら、近いし。にしても久しぶりだな、どれくらい会ってなかったか?」
「そうですね。新学期が始まる前だから…三ヶ月以上は会ってなかったんじゃないですか?」
「そうか。なんかあっという間だのう。でも元気そうでなによりだよ」
「あなたも元気そうでなにより、ですよ」


会ったのが久しぶりでも気まずくなることはなく、会話は弾む。お互いが会いたい時に会って、遊んで、話す。
楊ゼンと望は昔からそういう付き合いだった。
二つ年が違っていても親同士の仲がよかったこともあり、物心がつく前からお互いの家をよく行き来していた。放課後は毎日のように一緒に遊んで、まるで本当の兄弟のように育った。
現在は高校が別れた為、昔ほど一緒に行動することはなくなったが、こうやって会えば昔と何も変わらない。
普段会っている学校の友人達よりも気兼ねなく付き合える、所謂、家族のようなものだった。


「それよりも…どうしたんですか?望。こんな時間に呼び出して」
「あ、そうだった。おぬし、知っておるか?あの公民館が取り壊されるって」
「公民館って…、僕らが小さい頃よく遊んでいたあそこの公民館ですか?」
「そうだよ。老朽化のため取り壊されて、新しい建物が建つそうだ」


”あそこの公民館”とは、今夜待ち合わせた場所の傍にある公園からも近く、二人にとっては思い出深い場所である。
それは戦後すぐに建てられた古い、全面が白い外壁の二階建ての建物で、普通の民家の何倍もの面積を持ちながらも住宅街の中に紛れ込むようにして建っていた。
それを見かけても今となっては行くことはないし、”公民館”という響きさえ日常生活の中に置いては既に懐かしい。
ただ、何の変哲もないただの公民館だとしても、小さい頃は学校とは違う、その古びた大きな建物が何故かとてつもなく魅力的に見えたものだ。
楊ゼンは、小学生の頃、冒険好きの望と一緒に何度も入りこんでは探検したことを思い出して、目を伏せた。


「そっか…あそこ、なくなるんですね。ちょっと…さみしいですね」
「な?わしもそう思ってたら、おぬしと一度、親には内緒で夜に忍び込んで遊んだことを思い出したのだ。だから…ほら、取り壊される前に、な?」
「…って、まさかあなたまた忍び込むつもりじゃ…」
「つもりに決まっておるだろうが。だからおぬしを呼び出したのだ」
「あなた、自分の歳考えて下さいよ…」
「まだ高校三年生だよ、若い若い」


かかか、と悪そうに笑う幼馴染みに楊ゼンは溜め息をつく。
昔から望は悪戯が好きだった。
思い返せば、無茶なことをやらかそうとする望を見兼ねて止めようとする楊ゼン、という図がパターン化していた。
しかし結局は強引に楊ゼンも悪戯につき合わされ、結果、それが学校の先生やこういった公民館の係員にばれては二人でしょっ中怒られていたのだ。
あれから何年も経って、当時望より低かった楊ゼンの身長も伸びて、随分と追い越しても。楊ゼンにとって望はいつまでもあの頃のままの”親分”的な存在であり、どうしたって敵わない立場だった。望が機嫌を損ねると色々と面倒くさいことになるのが経験則的にわかっていた、というのもある。


「まさか、おぬし怖いのか?」
「何言ってるんですか。怖いわけないでしょう」
「よく言うわ。昔夜に忍び込んだ時、探検していたらおぬし怖がってわしの後ろにずっとくっついておったではないか」
「あれはあなたが必要以上に脅したからじゃないですか」
「脅されて怖がってる時点でアウトだろ」


かわいかったのう、あの時のおぬし、とにやにやと笑う顔からは意地の悪さが見て取れる。
確かに小さい頃、夜に忍びこんだ時彼の背中にずっと貼り付いていたのは事実だ。事実だ、けれども、10歳にも満たない子供が懐中電灯一本で他に誰もいない真っ暗な中を探検する恐怖はどれぐらいのものだろうか。
開き直るが普通の子供なら怖い。怖くない方が異常なのだ。
そう思っても、駄目だ、彼に口で勝てた試しなどない、と楊ゼンは早々に言い合いを切り上げた。こういう言い合いをした時は大体最後には話が噛み合わなくなる。


「いいですよ、もう。もとからこっちの意見なんて聞いちゃいないですもんね…」
「おい、何回溜息ついてるのだおぬし。怖くないなら行くぞ。…ほら、おぬしが乗らんとわしが乗れぬだろーが」
止めてあった自転車まで駆け寄ると、望は飲みかけのサイダーを前方の籠に入れ、サドルをぺしぺしと叩いて早くしろと楊ゼンを見上げた。
公民館は今いるところからそれほど遠くはなくても、わりと急な坂道の上にあった。
後ろに乗せろという望の意図を察して、楊ゼンの口元が、ひくりと引き攣る。


「…あなた、ここに来るのに散歩がてら歩いてきたとか言ってましたけど、公民館まで自分で漕ぐのがめんどくさくて自転車乗ってこなかったんでしょう」
「あたりまえだろ」
こんなに暑いのにさらに汗掻きたくない、と平然と言うなり、自転車の浮いている後ろの車輪に爪先を掛けて、本来漕ぐべき方向とは反対の方向へと回す。勢いよく車輪が回って、からからと音を立てた。自転車の二人乗りを促す際に車輪を回すのは、小学生の頃からの望の癖だった。


「あー、ちょっと、それ行儀悪いって言ってるでしょう。二人乗りだって本当は危ないんですからね」
「あはは、おぬしは相変わらずお母さんみたいだな」
やっぱり噛み合っていない。楊ゼンがそう告げると、おぬしは細かいからと望は笑う。
今日一番の大きな溜息を吐いて、それでも仕方ないと楊ゼンは思った。望の楽しそうな満面の笑顔を見ると、例え振り回されていたとしても、それがどうでもよくなってくる気がするのは事実なので、これはもう仕方がない。極力、望の笑った顔以外の顔は見たくなかった。


「どうせ細かいですよ。ったくもう、行きますよ」
「よしよし拗ねるな、あとでジュースかアイス奢ってやるから」
「あ、その言葉忘れないで下さいよ、絶対ですからね」


サドルを跨ぐと、すぐに後ろにそう重くもない重みが加わる。暑い、と言いながら腰に両腕が回ったのを確認してから、ペダルを漕ぐ足に力を入れる。ぐん、と前に進む動きに勢いがつくと、生温かい風が肌を撫ぜた。




















公民館は、さきほど待ち合わせた公園の裏にあった。
林を切り開いた中にある、どれだけ続くのか、という急な坂を登っていくと、夜目にもうっすらと白い、古びているとわかる大きな建物が見えてくる。
入口は学校に似ていて、黒い鉄でできた柵があり、その前で自転車を止めて降りた。
お互い小さい頃過ごした勝手知ったる場所である。
先に柵に手をかけて登り始めた望を見ながら、楊ゼンは周囲に注意を払って誰かこないか様子を見る。
がしゃ、がしゃん、と静かな空間に鉄の柵が立てるどこか懐かしい音に、純粋に今の状況を楽しむ気持ちになるのに時間はかからなかった。
柵を乗り越えた望に続いて柵を乗り越えると、少し先で望は楽しげに手招きをする。


「楊ゼン!まずあっちに行こう!」


柵を越えると、すぐに公民館に隣接している駐車場があった。
この駐車場も小さい頃は鬼ごっこなどをしてよく遊んだ場所である。今の季節、一緒に紙飛行機を飛ばしたり、シャボン玉を吹いて遊んだりしたこともあった。
車がゆうに二十台ほど留められるコンクリートの駐車場には、今の時間車は一台もない。


「うわー懐かしいのう!」
「望、ちょっとは待って下さいよ!」
その広さに走り出した望を楊ゼンが追うと、望は駐車場の端の方に何か見つけたようで、ぴたりと走るのを止める。


「楊ゼン、あれ」
「何ですか?」


細い指が差し示す先を見ると、駐車場の端に段ボールがいくつか重なっている。
段ボールに書かれているのは、わかる人にはわかる用度品のメーカー名。それは小さい頃にも見たことのある風景だった。納品された用度品が公民館の中に片付けられる前に、駐車場に置かれていることが時々あった。


「見ろ!相変わらずずさんな管理をしているぞ、ここ」
「ほんと、今もこのままだなんて…すごいですね」
雨が降ったらどうするんでしょうね、等と楊ゼンが呟いている間に望は段ボールまで駆け寄ると、その中の一つの段ボールを取って開けはじめる。
「え、ちょっと望何やってんですか!」
「なに、ちょっとだけ拝借するだけだよ」
にやりと悪い顔をして望が取り出したものは白とピンク色のチョークだった。
「どうせたくさんあってもろくに使われないで長い間倉庫に眠っておるのだ、使われた方がチョーク冥利につきるというものであろう」
「また変な理屈立てて…」
「たまにはいいだろこういうのも。おぬしは普段、気にすることが細かいんだから」
言い終わらないうちに望はその場にしゃがむと鼻で歌いながら、コンクリートの地面に大きく線を描いていく。
みるみるうちに地面に咲いていく白とピンクの花。
ぼんやりとした灯りの街灯の下、そこだけが花畑のように染まって明るくなった。
「はは、夏なのに春みたいだな!」
「ちょっと。チューリップとか描かないで下さいよ。向日葵とかでしょう今の季節なら」
「白とピンクのチョークで無理言うな。ったくほんとにおぬしは生真面目っつーかなんか固いっつーか…」
「季節やあるべきものを大切にするとか言ってほしいですね」
「いや、なんかそれ違うだろ。ってなにおぬしもしっかりチョーク握っておるのだ。止めときながら描く気満々ではないか」
「ここまであなたが描いてたらもう止めても意味ないでしょう。せっかくだから僕の上手な絵を見せてあげますよ」
「おぬし言ってることめちゃくちゃだぞ!」


本気で笑いながら二人でコンクリートに絵を描いて、楊ゼンは、小さい頃に思いを馳せる。
望と二人でくだらないことを本気で笑い合いながら、他愛もないことを繰り返すのが楽しくて仕方がなくて、それが”日常”だった。何をしても、あの頃は二人でいつも笑っていた。
夏休み、何度も繰り返した近所の冒険も、お祭りも、虫取りも、海水浴も、花火も。
ずっとそれが続けばいいと思っていて、あの頃、二人で遊んで居られれば他にほしいものは本当になかったとさえ思う。”また明日”、を繰り返して。
そして、楊ゼンはなんとも言えない気持ちになった。望はいまだ楽しそうに絵を描き続けている。
すぐ横にある、自分より小さい背中からなんとなく目をそらした。


それではその楽しくて仕方がなかった”日常”が”日常”でなくなったのはいつからだろうか。
”また明日”という言葉が、どこか遠い約束になったのは。
楊ゼンが前に望の背中を追ったのは、はっきりとは思い出せないくらいに遠い日だった。彼と一緒に帰り道を辿らなくなったのも。


……いつだったのかはわからないけれど、それは暑い季節だったのかもしれない。
楊ゼンはなんとなくそう思って、それでもそれはきっと正しいのだと思った。
振り返ることができる夏の日は、熱いことだけは覚えていても、その他の全てが既に遠い。




































ころん、と随分と短くなって、形の崩れたチョークが地面に転がる。












散々に落書きをしたコンクリートの上は、季節感を無視した一面の花畑となんでも生息している動物園が広がっている。
明日見つけた人が驚くかもしれないけれど、無くなったのはチョーク2本だけだし、雨で落ちる悪戯だし見逃してほしい、と言い訳をすることにした。
ずっと屈んだ体勢でチョークを握りしめるのは思ったより疲れる。指が痛い、と楊ゼンが駐車場の端のフェンスを背にして座ると、望はすぐ横のコンクリートの上に仰向けで、大の字になって寝転がった。


「あー、楽しかった!」
大きく伸びをして目を細める姿はまるで猫のようで、楊ゼンは笑いを堪えながらそうですね、と相槌を打つ。


「あー…なんか、落書きだけでわりと満足してしまったのう…」
「いや、随分描きましたからね?……描きながら、小さい頃もこうやって落書きしたのを思い出しましたよ」
「そうだのう、今思い返すと本当におぬしと遊んでばかりいたな。おかげであの頃の夏休みは楽しくて仕方なかったよ」
「後先考えずに好き勝手やってましたからね。あー…、そう言えば先生たちに内緒でここの駐車場裏に生えてる桑の実、たくさん積んで食べたりもしてましたよね」
「ああ、中でも甘いのを見つけるのが楽しかったのう」
「本当にあなたは先生に怒られることばっかりしてて…」
「何を言う、共犯だろうが」


くすくすと笑い合う。広い駐車場を見渡すと、その先に駆けている幼い頃の自分達が見えるようだった。


「……やっぱりここがなくなるなんて寂しいですよね」
「仕方ない、とはいえな。だから今日は遊ぼう!と思ってきたのだよ」
「ええ。…そのおかげで、今日はあなたと遊んだ昔のことをこれでもかってくらい思い出しましたよ。なんだかんだで、最近あまり一緒に遊んでなかったですからね」
「だのう。最近は会っても世間話くらいだったし…」
「ね。ただ今年に入ってからはあなた受験生でしょう?僕としては会ってもあまり時間を取らせちゃいけないかなって思ってたところもあるんですよ」
「うわ、せっかく忘れていたところに受験とか言うな。せっかくの夏休みなんだぞ!」
「その夏休みに受験生は勉強するんでしょうに…」
途端に顔をしかめて、聞きたくない、とばかりに首を振る望に楊ゼンは笑った。
「でもまあ、あなたの学力ならそんなに切羽詰まることもないとは思うんですけど。さぼっているように見えてその成績は詐欺ですよ」
「まあのう」
「否定はしないんですか」
「わしを誰だと思っておる。いや、確かにこのままで行けば余裕で大学は受かるだろうが、まあそれでいいんだが、でもな…、うん」
どこかはっきりとしない、曖昧な返事に首を傾げる。
「?なんか不安なことがあるんですか?」
「……」


寝転んで、空を真っ直ぐ見上げたまま。望は幾度か瞬きをしてからぽつりと溢した。


「楊ぜん。…のう、今、学校、楽しいか?」
「え、あ、はい。それなりに」


質問の意図が掴めないまま正直に返すと、望はまた”そうか”、とだけ呟いて黙り込む。
「望?」
「なんだ、彼女がいるとやっぱり楽しいのだろうな、毎日」
「は?」
「違うのか?なんか高校生になってからおぬしそっけないだろ。前より連絡取らなくなってきたし、なんか浮かれててきもいから、彼女ができたのかと」
「いや、きもいってなんですか。確かに彼女はいましたけど、最近別れましたけど…って、それはいいんですよ。いつ僕があなたにそっけない態度を取りましたか。さっきも言いましたけど、あなたは受験だから、確かにこっちから声を掛けるのは少し遠慮してましたよ。でも、それだけですよ?」
「昔はわしのうしろをよくくっついて歩いてきてたではないかー。しかもこの季節に怖い話をすると、すぐ泣きそうになってたな。”望、こわいです、こわいです”って繰り返して…わしよりもちっちゃかったし、かわいかったのう、あの頃のおぬし」
「だからそれいつの話ですか…」
がくり、と脱力するとその様子が面白かったのか、望はくっくと背を丸めて笑っていた。
「わしも、今日は昔のことをいっぱい思い出したのだ。そしたら、おぬしもおっきくなったのだなー、と思って…」
「あなた僕の親ですか。ニ歳しか違わないでしょう」
「似たようなものだろ、おぬしにとって」
まださも可笑しそうに笑いながら。ごろん、と寝返りを打つとそのままこちらを見ないまま続ける。


「…のう、楊ぜん、わしはおぬしの友人か?」
「何ですかいきなり。決まってるじゃないですか」
「でもおぬしに彼女いるの知らなかったし。学校生活もよく知らないし。幼馴染みってのは難しいのう。昔はあんなに遊んでいたのに、今は毎日あんな風にはいかないだろう。そりゃ大人になるわけだから、それは当たり前なんだが、わしは…」
「望?」
「……」
急に黙ってしまった望を見ると、いつもの彼がよくするような、にやにやしたような、からかうような、そんな表情はなくて。代わりにあるのは、一切の感情が抑えられた顔だった。ただ真っ直ぐに空の一点を見ている。


「…、望?本当にどうしたんですか」
「突っかかってるな、すまぬ。なんだ、結構寂しいんだろうな。公民館、なくなってしまうし、おぬしはやっぱりかわいくないし。今、時の流れの無情さ、というものをひしひしと感じておるところだ」
「なんですか、それ」
最後に告げられた言葉に笑うと、今度は望もいつものように笑った。そして此方を見て、しみじみと呟く。


「なんつーか、おぬし本当におっきくなったのう」


「…あなたは、あまり変わらないですよね」
「うっさい。これから伸びるわ」
無理だ、と思わず楊ゼンが笑うと、ふてくされた顔になる。
口を尖らすようにして、背を向けられる。
その背中はどこか頼りなく、自転車に一緒に乗った際、腰に回った細い腕を思い出させた。


――なんだ、これは。
楊ゼンは、妙な、ちくちくと全身を突かれるような感覚に襲われて、これは知っている、と感じた直後に違う、と思った。
自分が知っているのは、ちくちく、よりも強く胸の内を騒ぎ立たせる何か。やめておけ、と漠然と頭に響く警鐘のような、それ。どこか知っている、感覚だった。もう一度、強く響く。
黒い髪はさらさらと揺れて、すぐ手の届く場所にあった。湧き上がる感覚を振り切るように会話を続ける。


「ちょっと。拗ねないで下さいよ」
「拗ねとらんわ」
「拗ねてるじゃないですか…」
「拗ねてない…」
「……」


覗きこんだ顔は、目は。今までに見たことがないくらいに揺れていた。見上げてくる、切なげに歪められたその大きな目に息を飲む。じっと見つめてくる望の視線の強さに楊ゼンは言葉を失った。
僅かの沈黙のあと、望は小さく、小さく笑う。


「……なんで、おぬしはそんなにでかくなってしまったのだ…」
ゆらり、と上半身を起こして座り込んだ望は下を向いたまま呟いた。


「…わしはな。最近、昔のことばかり思い出すのだ。おぬしと遊んだ、昔のことばかり。振り返って思い出すばかりで嫌だと思うのに、やっぱり思い出して。だって、わしは最近のおぬしをよく知らない。わしは、それが寂しくて、」


どこか停止したままの思考のまま望の声を聴いていた楊ゼンの思考は、さらに途切れた。
動いたと思った目の前の存在がこれ以上ない程に近づいて、唇に、唇が重なった。
手の甲に、彼の薄い、左の手のひらが乗っている。その薄い手のひらに、ぐ、と力が籠められて、甲が軋んだ。
彼のもう片方の腕が首に回ってきて、強く抱き締めるとすぐに離れた。
熱い、と知覚した瞬間。間近で見る、彼のその歪められていた目からぽたと一粒、滴が落ちた。


「寂しいのは、わしだけかな」


小さくそう告げたのがきっかけで堰を切ったように、次々と地面に水滴が落ちて染みを作っていく。


「ようぜん、わしは、おぬしのことが」






「       」






音が、途切れる。
音にすればたった四文字の言葉が、反響しては頭の中に響く。
楊ゼンは、極力、望の笑った顔以外の顔は見たくない。
見てしまった後、ただ二人だけでいたあの夏には、もう二度と戻れないのだと知ったからだ。それはどうしようもないことだった。
































夏休みが終わる頃、望が小学生である最後の年のことだった。


望が一緒に行こうと言ったお祭りに、楊ゼンは一緒に行かなかった。正確に言うと、一緒に行く約束はして、決められた時間に、待ち合わせ場所に行かなかった。
楊ゼンが望との約束を破るなんてことはそれこそ初めてで、携帯電話も持っていなかったあの頃、望は泣いて楊ゼンの家に押しかけた。
望は泣くだけで、一度も怒らなかった。
ただわんわんと泣いて、家にいてよかったと手で目元を拭い続けた。
楊ゼンが約束を破るのも初めてであれば、望がこうやって泣くのも初めてだった。楊ゼンはそれを見て、ああ、自分はこれが見たかったんだな、と思ってただ一言”ごめんね”とだけ呟いたのだった。
他にも何かしら、約束を破ったことに対してそれっぽい言い訳をした気はするが、その内容はよく覚えていない。
約束を破った罪悪感も本当のことを何も言わなかったも罪悪感も、目の前で泣く姿に飲み込まれてしまった。これを、自分は見たかった。夏の暑さとの境界がなくなるくらいに、ぶわり、と体中の熱が沸騰するような錯覚さえあった。


楊ゼンが望の背中だけを追えなくなった日も、ほぼ同じ頃だった。






























いまだ目の前でしゃくりあげるようにして涙を落とす望を見て、やっぱり彼から遠ざかったのは熱に浮かされたような、暑い日だったと楊ゼンは思い出す。
結局のところ、彼の泣き顔が見たくて、困った顔も見たくて、一緒にいると楽しくて、兄弟のように育って、二つ年上の頼りがいがある大切な幼馴染みで、でも、だから。


「……望、」


ぼんやりとした思考で一言呼びかけると、弾かれたように望は顔を上げる。目元を濡らしたまま、勝手にしてすまぬ、と一つ大きく息を吐いた。


「…嫌いになったか?」
「なるわけが、ないでしょう」
「だよな」


しってる、と赤い鼻をすすりながら、迷わずに呟く。


「…だから、いいんだ。おぬしは知っていてくれれば。実は、今日はおぬしに伝えようと思って来たのだ。…………ちゃんと言えてよかった」
あー、すっきりした、とぐしゃぐしゃになった頬を大きく手で拭って、両腕を上に伸ばす。


「よし、帰るか」


結局落書きしただけだったけど、楽しかったからいいだろ。
そう言って望は立ち上がると、止めてあった自転車までいつもの足取りで歩いていき、サドルを叩く。


「ほら、早くしろ。おぬしが乗らんとわしが乗れぬだろーが」


ぺしぺしとサドルを叩いて笑う姿に、ほんの数時間前の姿が重なる。
面倒くさいから自転車に乗ってこなかったと言い、自分の気持ちを告げた後も、当然のように一緒に自転車に乗ることを疑わなかったのだろうか。意識していたのか、していなかったのか。
ただ、寄せられる気持ちに楊ゼンはどうにも堪らなくなった。
「ったく、人使いが荒いんだから…」
詰まる言葉をどうにかして絞り出して自転車に跨ると、前輪の上の籠に入っていたペットボトルが揺れる。
この暑さでは、中に入っているサイダーはとっくにぬるくなってしまっているに違いない。






「…ねえ、望。コンビニ、寄って行ってもいいですか」
「?別に構わんが?」
「…ジュースかアイス奢ってくれるんでしょう」
「……」


望は楊ゼンの言葉を確かめるように数度瞬きをした後、嬉しそうに笑った。
その笑顔にまた言葉を失って、楊ゼンはコンビニに行った後、望と一緒にアイスでも食べながら、自分の告げるべき言葉を考える。
彼は、きっと自分の抱えてる罪悪感を知らない。
焦がれた想いも、何も。


楊ゼンの脳裏にふと、望が回す自転車の車輪が過った。からからと逆の方向に回る、それ。
彼が回すのならば、ぴたりとそれを止めるのは自分の役割だった、昔から。
どれだけ時間が過ぎようとも、彼が泣くのなら、笑うのならば、自分は。






「楊ゼン、乗るぞー」
「はいはい、どうぞ」


仕方ない風を装って笑って、きっと、もう二度と来ることのない公民館を横目で見てから、真っ直ぐに前を見る。
むせ返るような、あの日の夏をやたらと近くに感じていた。




















二人だけの、夏。
































































*     *     *     *     *     *     *














































お互いの、ひみつの話。
似たような話をどんだけ書くのだ…わたしは…(ほんとにな…)
一番は自転車二人乗りしてる二人を書きたかったんです…


※追記
チョークのいたずらはよいこはマネしちゃだめよ。笑
これは公民館の係の人も子供はいたずらするもんだという暗黙の地元ルールがあるゆえのいたずらです。
うちの近くの公民館もわざとチョーク出しといてくれてるおじちゃんがおりました。
今はどうなのかな~。






この二人は30歳近くになったら落ち着いて一緒に暮らしてたらいいんじゃないかというもうそう。
蔵出し小咄でした。長さ的に拍手に収まりきらんかったのでこっちにあっぷ。


題名はPerfumeたんから。
あ~ちゃんかわゆすかわゆす。まじかわゆす。


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拍手

拍手更新してから、ぽちぽちありがとうございました!
思ったよりぽちぽちして頂いて、嬉しいですo(*^▽^*)o
更新もあまりないのに拍手をいじってどうすんの…って思ってましたが、久しぶりに小咄もいじれてたいへん楽しかったです。
今年はぼちぼち楊太の蔵出しをしていきたいです…(お前…毎回そんなこと言って…)




5月のGWはスパコミもあったしマクロス展にも行ったし大変オタ充しまくりでした。
楽しかったよ~
ちーさんに会ったの2年ぶりだったし
くろまつさんとちゃんとお話したのも初めてだったし
さきさん、もずくさん、やなぎさんとも集まれたし、みんなで集まってわいわいするのはやっぱり楽しいですね(*´ェ`*)


しかしGW過ぎてふと思うのはわたしの外見コンプレックスの異常さである…(笑)
もう…いい年なのに…よよよ
わたしと直接会ったことがある方は、わたしの病的な外見コンプレックスをご存知だと思うのですが(笑)、大体好きな人に会うときにコンプレックスがMAXになります。
服装も化粧も、一番いいのは普段のかっこだってわかってるのですが好きな人に会うときは大体やり過ぎるよね…(まあ化粧はもとから好きなんですけど、なんかトータルで方向間違う)
いつまで…思春期…ヽ(´▽`)/
邪気眼使いこなせるようになりたいですえへへ












*拍手お返事


>素敵楊太を~の方
あれ?これお知り合いの方じゃないですか??(笑)違ったらすみません
コメントありがとうございました!
煙草の話はようぜん乙女ですが気にいってた話なので嬉しいです~(*´ェ`*)
実はすーすもようぜんのことちょっと気になってはいて、夏休みあたりお祭りで偶然会って、ようぜんが勢いで告白するという続きも考えてました。
高校生の夏とか個人的にやばいたまらんです

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